ダイバーシティ(多様性)推進の種

2011年4月14日   カテゴリー: 日記

12日の神戸新聞の朝刊の地域ニュース欄に、神戸のある小学校で、
在校生代表が、新入生に中国語でお祝いの挨拶をしているという記事が
掲載されていた。

記事によると、この小学校があるのは、1972年の日中国交正常化に
伴い、中国残留孤児やその家族が移り住んだ地域で、同校では全校児童の
約一割が中国籍とのこと。

この中国語の挨拶は、既に30年以上続けられており、入学式のみならず、
運動会や音楽会など各種学校行事の際にも中国語のアナウンスが流される
らしい。総合学習で、児童は、中国語や中国文化も学んでいるそうだ。

『ダイバーシティ(多様性)を活かすための第一歩は、お互いに違いを理解し、
認め、受け入れることから始まる』ということを、いつもダイバーシティ推進の
ための講演で伝えているが、それをまさに日常のこととして実践されている
小学校が、こんな身近にあるということを知り、とても感動した。

違いがあることは素晴らしいことである反面、制約条件ともなり得る。
違いがあるために障壁となり得ることを、どちらか一方だけではなく、
その場にいる両者が、お互いに歩み寄り、障壁を取り除く努力を続けること….。
それこそが、ダイバーシティ推進活動が大きく前進することにつながる筈と
信じている。

この小学校で学ぶ子どもたちの心には、異文化に触れた瞬間、間違いなく、
ダイバーシティ推進の種が植えられることになるだろう。
大人になるまでの間に、その種から芽が出て、花が咲き、実がなるように、
うまく育てて行って欲しいものだ。周りの大人たちの先入観や偏見によって、
決してその芽が摘み取られることがないように…..。そう願う気持ちで一杯だ。


そんなことまで…..。

2011年4月8日   カテゴリー: 日記

先日、大阪に出かけた時のこと。地下鉄の大日駅で、構内アナウンスが流れて
いた。内容は、『皆様にお願いがございます。歩きながらの携帯メールのご使用は、
他の歩行者とぶつかられたりする可能性もあり大変危険ですので、どうかお止め
下さい』というもの。

ついにそんなことまで、構内アナウンスが流れるようになってしまったとは…….。
ちなみに、そのアナウンスが流れている、ちょうどその時、周りを見ると、既に
2~3人の歩行者が、携帯メールを見ながら歩いていた。彼らにとっては、
せっかくのアナウンスも馬耳東風、まさに馬の耳に念仏、というものだ。

阪急電車の中吊りポスターにも、社内での飲食、新聞、音楽鑑賞、お化粧は
他のお客様の迷惑にならないように、ご注意ください』と書いてある。
『迷惑にならないように、お止めください』とは言い切れず、『ご注意ください』と
とどめている所に電鉄会社の苦労がうかがえる….。

数年前に右足先を骨折し、松葉づえ姿で通勤していた時を思い出す。
足が不自由なために、急な進路変更ができない私にとって、全く前を見ず、
一心不乱に携帯メールを見ながら歩いてくる人たちはまるで凶器のような存在。

携帯電話がまだ普及していない時代は、通勤途上では読書する人が
多かった。だからといって、読書しながら歩いている人など、めったにいなかった。
もちろん、本の場合は片手では持ちにくいからかも知れないが、携帯が普及した今、
多くの人が通勤途上で携帯片手に歩いている。後ろから見ても歩く速度が遅い
のですぐわかる。携帯電話の画面を見ているということは、まともに前を見ていない
ということだ。

どれだけ急ぎのメールを読まないといけないのか、どれだけ急いでメールの返信を
しないといけないのか、その人なりに多様な事情はあるかもしれない。でも、
そんなに急いで読みたいのなら、また、そんなに急いで返信したいのなら、
歩きながらではなく、通行人の邪魔にならない場所でしばし立ち止まって読むなり、
打つなりしてはどうだろうか…..。


『年寄りの言うことは聞くもんやで~』

2011年4月7日   カテゴリー: 日記

最近、亡き父の言葉をよく思い出す。
家にいる時は、よく読書をしていた父。 
実はジャンルを問わず、多種多様な読み物を乱読した結果、
そこから得た知識の受け売りも多いんやで、と本人も
話していたのだが…..。

特に、最近、思い出した父の言葉をいくつか書くことに….。
『車のガソリンはいつも満タンにしとくもんやで。乗ったら入れるくせを
つけておかんと、夜中に何が起こるかわからんからな』というもの。
もう一つは、『寝る時は、手の届くところに必ずメガネと水と懐中電灯を
置いとくように』というもの。

何事においても常に用意周到だった父。
「備えあれば憂いなし」の生活をまさに日々実践していた。
そう父から言われていたものの、私の行動はと言うと、
何事においても用意周到とは、なかなか言いいがたく…..。

車のガソリンが減っていても、次に乗る時に入れたらいいやん、
と放置しておくこともしばしば。
メガネは入浴前に取りはずし、そのまま翌朝まで洗面所に置きっぱなしと
いうこともよくある。コンタクトかメガネがないと、床にいるゴキブリを
落ちている柿の種と間違って拾いそうになる程、ド近眼な私なのに….。
さすがに懐中電灯は枕元にいつも置いていたのだが、先日、確認したら
案の定、電池切れ。

今、この時期だからこそ、父の言葉をしみじみ思い出し、
その言葉がもつ意味の大切さを改めて噛みしめている。
もう一つ、よく父が言っていた言葉が……。
『年寄りの言うことは聞いとくもんやで~』


ハンカチを使おう!

2011年4月6日   カテゴリー: 日記

駅構内や大型小売店内にある、たいていの公衆トイレには必ずと
言っていいほど、洗った手を乾かすための乾燥機が設置されている。
中には、手洗いシンクの中に、乾燥機が組み込まれているものもある。

見ていると、ほんの少しの間にほとんどの人が使用しているではないか。
その都度、「ブォーッ」という轟音が聞こえてくる。しかも、一回ごとに、
かなり長い時間、鳴り続けている。そして、終わったと思ったら、またすぐ
次の人が使う。次から次へと、「ブォーッ」という音は止むことがない。

専門的なことはよくわからないが、あの乾燥機を使用する時に消費される
電力はいったいどれ位なんだろう。素人考えながら、あの音からすれば、
かなりの量ではないかと思えるのだが….。家で使う、ヘアドライヤーの
消費電力量もそこそこのものと聞いたことがある。

私たちが子どもの頃は、もちろんお手洗いに乾燥機はなかった。
幼稚園時代から持ち物検査があり、ハンカチとチリ紙(トシがわかってしまうが、
当時はポケットティッシュなどなかった時代だ)は必帯で、持っていないと
先生から注意をされた。そして、洗った後の手は、いつもハンカチで拭いていた。

私は今でもハンカチで拭いている。厳密に言うと、ハンカチでなくタオルハンカチ。
普通のハンカチだと、すぐに濡れてビショビショになってしまうので、もっぱら
手拭き用にはタオルハンカチを愛用している。
大好きなカエルの柄入りの物も、何枚か持っている。

乾燥機で手を乾かすと、時間もかかるし、なかなかすっきりと水気が取れない。
すっきり水気が取れるまで使用するとなると、かなり長い間、手をかざし続けて
おかねばならない。短気な私は、さっさとトイレを出て次の行動に移りたいので
乾燥機を使う時間をもったいないと感じる。
それに、なんだか肌が荒れそうな気がして…..。

折しも、世間では、全国的に節電運動が広まりつつある。
乾燥機ビジネスに携わられている方たちの邪魔をする気は毛頭ないが、
ハンカチビジネスに携わられている方たちもおられる訳で…..。
洗った手を拭く時には、たまにはハンカチを使ってみよう!


いったい、いつの話~?!

2011年4月5日   カテゴリー: 日記

先週のこと。夜、自宅でクイズ番組を母とみていた。
そのクイズでは、すべて質問は4択形式で出される。
問題の質問は、地中になる木の実を4種類の木の実の中から選ぶというもの。
正解はピーナッツということで母も私も正解。

その後で、私が、『ピーナッツが土の中になっているとこ、見たいなぁ。
なんか可愛らしそうな感じがするやん』と言うと、
母がすかさず、『私、あるよ』と自慢げに言うではないか。
『だって、うちで植えてたもん』と続ける母。

『えぇっ?いつ、どこで?』と私が訊く間もなく、
『防空壕の上で』と母。
『いったい、いつの話やっちゅうねんっ!』と私が突っ込んだことは言うまでもない。


時間の観念(パート2)

2011年4月4日   カテゴリー: 日記

先日に引き続き、時間の観念について、もう一つ思い出した事例を書いておこう。
秘書として勤めていた時代のことだ。
上司のスケジュール管理の際に、一日の会議時間を午前や午後にばらけさせて
入れていたことがあり、その時に言われたことをまずご紹介。
『こんなにばらけて会議を入れられたんでは、まとまった仕事ができないよ』と
言われた。私なりに、会議に出ている間にかかってきた電話へのコールバックや
その間にたまった仕事を片付ける時間が必要だろうと気を利かせたつもりだったの
だが、そう言われてからは、会議の予定は、できる限り朝早い時間や午後遅めの
時間にかためて入れるようにした。

次に言われたことが….。
『一つ目の会議が10時から11時で、次の会議が11時から12時となっているけど、
二つの会議が同じ会議室で行われて移動の必要がないのならそれでいいけど….。
違う部屋で行われるなら瞬間移動でもしない限り、前の会議の終了時間と同じ時間
に行ける筈がないだろう』というもの。内心、『いったい、どうしろっちゅうねん!』とも
思ったが、確かに言われた通り、同じ部屋でない限り、そこまでの移動の時間も
考慮して会議の時間を決めないといけないのだ、ということに気が付いた。

その上司いわく、『11時から開始の場合、前の会議室から移動するのに3分かかる
としたら、時間通りに来た他のメンバーは、3分間、私が着くのを待たないといけない
だろう。それは、その人の時間を3分盗むことになるんだ』とのことだった。内心、
『そんなたいそうな!会議のメンバーの中では、あなたが一番上のレベルだし、
みんな3分位、おとなしく待ってるやん』と思ったが、確かに3分あれば、メールの
一つ位は返信できることもあるだろう。(3分あればチキンラーメンもできあがるっ!)

以前、部下の男性と梅田で待ち合わせをする際にも、『9時半にしましたよ』と伝える
と、『自分が乗る電車でその時間に梅田に着くのはあるのか』と訊かれた。ダイヤを
調べると、9時半に間に合うように着く電車は、9時27分着だということが判明。
それを知らせると、『なら、待ち合わせの時間を9時27分に変更してくれ』と言うでは
ないか。私にしたら、9時半も9時27分も3分しか変わらんやん、という気持もあった
が、梅田で部下の到着を3分待つのは無駄だということなのだ。

彼ほど極端に時間管理をすることが得策かどうか、いささか疑問も残るが、彼から
学んだことは、たとえ3分という時間でも、自分の時間を無駄にしてはいけない、
また、人の時間も無駄にさせてはいけない、ということだった。
たかが3分、されど3分、ということなのだ。


時間の観念(パート1)

2011年3月30日   カテゴリー: 日記

ワーク・ライフ・バランス【仕事と生活の調和】の実現を推進していく際に、
タイム・マネジメント【時間管理】の観点は大いに関係するものだ。
タイム・マネジメントを考える時に、個々人がもつ、時間に対する観念は
無視できない。自分も含めてのことだが、時間の観念というものは、少し気を許すと
ルーズになりがちである。

いくつか思いつく例がある。

まず一つ目の例は、あるセミナーに参加した時のこと。アジェンダでは、
基調講演は13時~14時半と記載されていた。ところが、13時になると、
まず司会者が出てこられ、「時間になりましたので、ただ今から~セミナーを
開催いたします」と述べ、参加者に対する謝意の言葉に始まり、主催団体の趣旨、
その日のセミナーの目的やタイトル、講演中の諸注意や講師のプロフィール紹介
に至るまで、ゆうに7分間は話し続ける。

それで終わると思いきや、今度は、「それでは、基調講演に先立ち、主催者を
代表し、~がご挨拶を申し上げます」と続く。そして、代表者がおもむろに登壇し、
再び、謝意の挨拶に始まり、司会者よりは少し詳しく主催団体やその日のセミナー
の趣旨や目的など、また、ゆうに7分は話し続ける。登壇、降壇の時間を入れると
8分にはなっていただろう。つまり、基調講演が始まったのは、13時ではなく、
13時15分なのだ。

講師の方は時間を延ばすことなく、予定通り、14時半に講演を終えられたが、
途中、「今日は、時間の関係で、~の部分は割愛しますが」と話されていた。
講師の方は、おそらく1時間半の内容で講演内容を準備されていたことだろう。
しかし、前半に15分間、主催者側が時間を取られるのであれば、基調講演は
13時15分~14時半として、講師の方にも講演は1時間15分で、とお願いして
おかれるべきではないだろうか。たかが15分、されど15分。
講師の立場からすると、15分は貴重な時間と言える。
(パート2に続く)


あわや、食物連鎖発生か!?

2011年3月26日   カテゴリー: 日記

我が家の庭にスズメたちが遊びに来る話は前に書いた。
それに伴い、新たな出来事が発生!

今朝のこと。居間の窓越しに庭を眺めていると、それまで、
ならんで一心不乱にお米を食べていたスズメたちが、
いっせいに飛び立つではないか!何事かと思い、よく見ると、
野良猫が一匹、悠然と庭を横切る姿を発見。

そうかぁ、猫は、スズメを追いかけるのが習性なんだ。
猫は生米は食べないと思って安心していたが、まさかそれを
食べにくるスズメたちをねらうとは……。もしかしたら、我が家の庭には
スズメが集まるということで、猫の頭にインプットされているのかも……。
幸い、まだ我が家の庭で猫に襲われたスズメはいない。

動物好きの母としては、たまには猫にも遊びに来て欲しいし
(既に自宅には猫が一匹いるというのに)、スズメたちにも来て欲しいと
思っているようだ。でも、我が家の庭で食物連鎖は起こって欲しくない!
う~ん、悩ましいところだ。
【注:ちなみに、猫はスズメは食べない、と思う。よっぽど空腹時なら
いざ知らず、ただ捕まえて遊ぶだけのはず。でもそれはか弱いスズメに
とっては命取りになることだ。】


『ママのせいだ~っ!』

2011年3月25日   カテゴリー: 日記

先日の朝、電車の中で、幼稚園児とおぼしき坊やが、私が乗車した時には
既に大声で泣きじゃくりながら、隣に座る母親の腕をたたき、何度も何度も
『ママのせいだ~、ママのせいだ~』と叫んでいる。
ラッシュアワーの後なので、すいている車内に、その子の泣き声が響き渡る。
たまたま隣に座った私は、あまりの音量に、一瞬、席を変わろうかと迷ったが、
たったひと駅のことだし、と思い、あえて動かないことに….。
そうして、駅に着くまで見るともなしに隣の親子の様子を見ていた。

そのうち、その坊やは、『ママのせいで遅れた~っ』と叫び出した。
車内に同じ制服の幼稚園児は見当たらない。事情はよくわからないが、
なんらかの理由で家を出るのが遅れ、どうやら遅刻してしまったようだ。
母親はひそひそ声で『静かにしなさい』と言っている。が、驚いたことに
その母の両手には携帯電話が握られていて、ひたすらメールを打っている。
子どもの目を見て話しかける様子はない。

『ママのせいだ』と叫ぶ子どもに一度でも謝っている様子もない。
もしかしたら何か急用があったのかもしれないが、一瞬でもメールを打つ手をとめ、
子どもの目を見て話しかけてあげられないものか、と疑問に思った。
子どもの訴えには、どんな時でも、まずは真剣に向き合ってあげるようにしないと、
と老婆心ながら思った次第。

こういうことって、もしかしたら職場でもあるかもしれない。
部下が上司に何か相談に来た時に、上司がパソコンのメールを打ちながら、
『聞いてるから話、続けててくれていいよ』と言うような光景はないだろうか。

長年、児童教育に携わっている友人にこの話をしたら、『子どもにはわかるのよね。
大人が自分の話にどれだけ真剣に耳を傾けてくれてるかってことが…..。
それよりも私がその話訊いてコワイと思ったことは、幼稚園児の口から、
“ママのせいだ”って言葉が出ることだな。周りで誰かがよく使う言葉なのかも。
でも、そんな小さな頃からそういうふうに、自分は悪くない、人のせいだっていう
考えをもってることがコワイよね』という答が返ってきた。

そう言えば、私も小さい頃に、『~のせいだ』と父に言い訳をしたことがある。
その時、今は亡き父にすかさず注意をされた記憶もよみがえってきた。
「誰のせいでもない、すべてのことは自分に責任があるんや」と……。

いろんなことを考えさせられた朝の電車の中の光景。


スズメの顔のダイバーシティ(多様性)?!

2011年3月24日   カテゴリー: 日記

マンションの1階にある我が家。猫の額ほどの庭付きだ。
狭いながらも、何本かの植木も茂り、四季折々の花も咲く。
気候が良い時には、テラスでお茶など楽しむことも…..。
近くに公園があるせいか、うぐいすをはじめとし、珍しい野鳥もよく訪れる。

動物好きの母は、我が家の庭に訪れる野鳥や野良猫を発見しては
嬉々としている。少し前になるが、ある時イタチが来たと言って
大騒ぎをしていた。そして、最近は、訪れる野鳥を待つだけでは
物足りなくなってしまったようで、野鳥がもっと来るようにと、
庭にお米やパンくずを庭にまいてやって欲しいと言い出した。
仰せの通り、庭にお米をまくと、来るわ、来るわ、スズメたちが
群れをなしてやってくる。

用心深い彼らは、すぐに地面には下りてこず、まず、木々の枝に
とまり、十分、安全確認をしてから徐々に庭に下りてくる。
ふとみると、庭木の枝に、スズメが鈴なりに!それを見て、
『また来た、また来た!』と子どものように目を輝かせる母を
見ているのは、結構楽しい。

この話を従姉妹にしたら、『うちのママとおんなじことしてるわ~。
いつも同じ子(スズメのこと)が来るんでしょ?』と言うではないか。
それを聞いて、ポカンとする私を尻目に、従姉妹は話を続ける。
『でね、時々、友だちも連れてくるらしいわ』と。

『えぇっ?いつも同じ子って、そんなん、なんでわかるんよ~?』と
訊き返す私に、平然と従姉妹は答える。 『だってうちのママが
そう言うてるもん。』
『スズメの顔なんて、みな、同じなんと違うん?』と更に私は訊き返す。
『だって、ママがそう言うねんもん。いつも同じ顔の子が来てるけど、
時々、顔の違う子もまじってるみたいやから、きっと友だち連れて
来てるんやわ』と答える従姉妹。

あまりそばまで接近して見たことはないが、スズメの顔もよ~く
見てみると、きっと違いがあるのだろう。
常日頃、ダイバーシティ(多様性)の大切さを提唱している私だが、
スズメの顔の多様性は、いまだ見極められないままでいる。

それにしても、うちのファミリーは、つくづく動物好きの家系らしい。