『最期を看取れず』って言うけど…..。

師走に入ってすぐ、浅田選手のお母様の訃報が飛び込んできた。
まず容体急変の報に、カナダでのグランプリファイナルを欠場し、急遽
帰国の途についたというニュースが流れた。それを見ていた私は、
彼女はその時、プロのスケート選手という“役割”でなく、
“娘としての役割”、つまり、その瞬間、彼女が一番大切にしたいと思う
役割を優先させたんだなと思い、彼女の勇気ある決断に内心拍手を送った。 

その日のために、血のにじむような練習を積み重ねてきたことを思うと
苦渋の決断だったのかも知れないと思っていたが、今朝のニュースで
連絡が入ってから顔も洗わず30分以内にホテルを出た、と同行のコーチが
話しておられたのを知り、彼女にとっては、すぐに決断できたことなのかも
と思った。

帰国後、流れているニュースの見出しには、『最愛の母の最期を看取れず』
というテロップが付けられていて胸が痛む。私自身、最愛の父の最期を
看取れなかった経験をもつ。父は、早朝にたった一人で逝ってしまった。
父の最期に立ち会えなかったことを悔やみ嘆く私に、友人がかけてくれた
言葉を思い出す。

『いくら死に目に会えなくても、いままでの人生の中で十分そばに
居られたんだからいいじゃない。生きている間、ずっと疎遠でいて、
死に目にだけ間に合うっていう人よりはよっぽどいいと思うよ』と
言ってくれた友人に救われた。それと、後で叔母から聞いた話だが、
父は生前、自分の最期は母や私には見せたくない、
逝くときは一人で逝きたいと話していたそうだ。
意志が強い人だった父は、その意志を貫いたということだ。 

真央ちゃんのお母様も、もしかしたら自分が逝く姿は、最愛の娘には
見せたくないと思われていたのではないだろうか。
確かに、最期を看取れなかったという事実は否めないが、それを周りが
とやかく言うことってどうなんだろう…..。いささか違和感を覚える。
『最期を看取れず』ということを知らせることにより、悲劇性がより増幅することを
ねらっての報道のような気がして、残念に思う。

真央ちゃんのお母様のご冥福を心からお祈りすると共に、一日も早く、
彼女が元気を取り戻して、また銀盤で活躍する姿を見せてくれることを願っている。


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