北尾真理子のつれづれ日記
2012年1月25日 | 日記
前回に引き続き、テレビ番組「ハングリー」にまつわる話を書くことに….。
ちょっとミーハーっぽいかな、と思いながらも、テレビ番組からも
得られる気づきは結構あるもの。
今は亡き母が経営していたレストラン「ル・プティ・シュー」のオーナーシェフの
向井君。根はやさしいのに、不器用、ぶっきらぼうで、人に笑顔を見せることが
苦手なタイプという設定。(でも恋人の前では自然とステキな笑顔が!)
前回、前々回の放映で、自分の店をこれからどうしたいのか、と考えた結果、
お客様を喜ばせたい、お客様の笑顔が見たい、それがかなえられる店にしたい
という、立派な『ヴィジョン』を設定した彼。
そして、昨夜は、お客様を笑顔にするのは、料理の味だけでなく、店の雰囲気や
そこで働く従業員の接客態度やサービスマナーも大切だということに、
やや遅ればせながら気づき、改善に向けて努力を始めるというストーリー。
笑顔を無理に作ろうとして、何とも言えない、ぎこちない表情になるシーンでは、
母と二人で大笑い。(でも、元来ハンサムな人って、どんな変な表情をしても、
受容可能だってことも発見!)
物語の中の向井君は、気づくのは確かに少し遅かったが、相手を笑顔にしたいと
思うなら自分がまず笑顔でいないと!(遅くても気づけたことは素晴らしい!)
人間の脳にはミラー(鏡)細胞という、相手の反応を鏡にうつすように、そのまま
反射して返す作用のある細胞があるそうだ。目の前にいる相手が悲しそうだと、
自分もつられてだんだん悲しくなってくるし、相手が怒っていると自分にも徐々に
怒りが込み上げてくるようなことって、確かに体験したことがあるような…..。
これをミラー現象と言うそうだ。
人の笑顔が見たい人は、まず自分が笑顔で人と接すること。
人に褒めて欲しいと思う人は、まず自分が人を褒めること。
人を幸せにしたいと思う人は、まず自分が幸せになること。
人に感謝して欲しいと思う人は、まず自分も感謝の気持ちをもつこと。
人にきちんと約束を守ってほしいと思う人は、自分も約束を守ること。
人に手伝って欲しいと思う人は、まず自分も人を手伝うこと。
など、まだまだ色々なケースが考えられるが、相手に変わって欲しいと思うなら、
ミラー現象を活用して、まず自分が変わるってことが大切なんだよね。
北尾真理子のつれづれ日記
2012年1月21日 | 日記
先月、昨年秋からアジアのある国に単身赴任中の元同僚で親友のMさんと再会。
久々に会う彼女は、転勤前に比べるとかなり、スリムになっていた。
以前はもう少しふっくらとしていたはずなのに…..。
ここしばらくは、彼女と会うたび、いつも、『今、私、人生最大の
体重記録更新中やねん!』と ぼやく私に、『私の前でそんな話するなんて、
はっきり言ってケンカ 売ってんのと言いたくなるよ』と言い返していた
彼女だったのだが…..。
年末に一時帰国中の彼女に会うなり、『痩せたんちゃう?』と訊くと、
『うん、確かに痩せた。だって、おいしいものがないねんもん』と答える彼女。
『私が、単にまだおいしモノを現地で探せてないだけなのかもしれないけど、
何、食べても、あんまりおいしいと思わへんねん』と続ける彼女。
『前よりも、私、また太ったでしょう?』という私の質問に対して否定はせず、
『いいことやん、太れるってことは。それだけ、毎日おいしいもん食べられてる
ってことやもん』 と答える彼女。
言われてみれば、確かにそうかもしれない。
いくらおいしいものが目の前にあっても、病気で体調不良だったり、
何か大きな悩みごとがあったりしたら、食欲も出ないだろうし、
また、いくらおいしいものを食べたいと思っても、それが手に入らなければ、
それまた不幸なことだよなぁ、とつくづく思った。
先週から始まった、今、旬な俳優の一人である向井理君が主演を務める
「ハングリー」というテレビ番組。
向井君はうちのミーハー母のお気に入りの一人(母のお気に入りは大勢だ!)
で、しかも、かなり上位ランキングに位置しているようだ。
(もしかしたら今はトップかも?!)
その番組の2回目の放映で、ちょっとぎくしゃくしているカップルが、
彼が経営するレストランに飛び入りで来店。少し前までは 別れ話まで
出ていたというのに、おいしいものを食べたことにより、その関係までが
修復 されるというシーンがあった。
そういえば、昔、母と旅行中に何度か親子喧嘩をしたことがあるが、その都度、
何かおいしいものを食べることにより、自然と仲直りをしていた記憶がある。
喧嘩をしたのも、決まって空腹時であったような記憶も……。
おいしいものを食べることは、人を幸せにすることなんだ。
そして、おいしいものを食べられるってことは、太るってことになる可能性も
大いにある。 ということは、太れることイコール幸せなこと、という方程式が
成り立つのかも….。『ダイエットは明日から~』と唄いながら、これからも
おいしいものを食べ続けようと決意を新たにした次第。
北尾真理子のつれづれ日記
2012年1月16日 | 日記
今朝、出がけにあわてていたので、うっかり携帯電話を持って出るのを
忘れてしまった。最寄駅で気づいたが、取りに戻る時間はなく、そのまま
出かけることにした。
すぐに自宅に電話をして、『携帯忘れてるよね』と母に確認したい衝動に
かられるも、駅に公衆電話がないっ!
携帯電話を忘れて出かけてきてしまった方なら、多分、誰もが経験
されている筈の、何とも言えない、落ち着かない気持ちを
しばらく味わうことに…..。
携帯電話を持っていなかった頃には感じたことのない不思議な気持ちだ。
実際に、今までも、1日にそんなに大勢の人からメールや電話が
入ってくるわけではないし、長時間研修などに携わっている時など、
その間、携帯には全くアクセスできないわけだから、1日位、手元に
なくても大丈夫じゃん、と思う反面、何とも言えない不安な気持ちに
おそわれる。
三宮から元町に歩く途中でも公衆電話を探すが、まだ見つからないっ!
ようやく見つけた電話ボックス! でも中には人が!
少し離れた所から、しばらく様子を見るが、終わりそうにない。
ふと思い出したが、まだ携帯電話が普及していない頃は、
公衆電話ボックスの前に人が並んでいたこともあった。
寒い時や雨の時など、長電話をする人に早く切れと怒る人も出没
したりして、喧嘩の原因になっていたこともあったような……。
あきらめて、しばらく歩くと公衆電話ボックスがあり、ようやく自宅に
電話をして、確かに自宅に忘れていたことを確認し、なくしたり、
落としたりしたのではないということを再認識し、ひと安心。
落ち着かない気持ちも目的地に着く頃には、すっかりおさまり、
携帯電話を気にしなくてもよいという1日も、結構、心地良いものかも、
と思い直した。
北尾真理子のつれづれ日記
2012年1月5日 | 日記
昨日、ひょうご仕事と生活センターの主任相談員として、センター長の
代わりに、神戸市新年合同祝賀会なるものに出席した。
会場はポートアイランドにある神戸国際展示場大ホール。
会場の外には運転手さん付きの黒塗りの車がずらりと並んでいる。
入口で渡された参加者名簿を見ると、そうそうたる方々のお名前が並んでいる。
神戸の企業や自治体、団体等のキーパーソンが大勢出席されているようだ。
広い会場内におそらく1000人以上の人が集まっているようだったが、
ものの見事に、その殆どがダークスーツを身にまとった男性ばかり。
華やかな晴れ着姿の女性もチラホラ見かけたが、本当に女性は少ない。
その数は、多分100人にも満たないのではないかと思える。
統計的にも出ていることだし、知識として十分理解している筈だが、
やはり、経済界、政界等のキーパーソンは、まだまだ男性なのだ。
こうして目の当たりにしてみると、改めて日本女性の社会進出の遅れを
つくづく感じる。(海外でも、もちろんその傾向はまだあるだろうが、こういう会合で
ここまで女性の出席者が少ないことはないのでは、と想像する。)
「社会を変えたい」という夢を胸に抱いて独立し、活動開始後、早や5年が
経とうとしている。まだまだ、活動の機会は多々ありそうだ!
北尾真理子のつれづれ日記
2012年1月1日 | 日記
いよいよ2012年の幕開けだ。
昨夜、紅白歌合戦が終わり、TVから流れる「蛍の光」を聞きつつ、
母と二人で食べる年越しそばの準備を始めた。
出来上がり、食卓について、さぁ、食べようというその時に、
母が、エーン、エーンと泣き出した。
これは過去3年ほど、我が家では恒例の行事になりつつある光景である。
こうして、おだやかに娘と二人で新年を迎えられる、この瞬間が
何事にも変えられないほど幸せだと言い、母はいつも嬉し泣きをする。
『おそばがのびるよ』と言う私の言葉に促されて食べ始める母。
今泣いたカラスが、という調子で、もうはや、ケロッとしている。
ところが、今回は、大晦日だけにとどまらず、
今朝も、さぁ、今からお雑煮を食べようというその時に、またもや
感極まったのか、泣き出す母。
加齢と共にかなり涙腺がゆるくなってきているようだ。でも、
ただ泣くばかりではなく、良く笑うし、理不尽なことがあれば怒って文句も言う。
体調が回復してきたからこそ言えることだが、喜怒哀楽の表現は
いまだ衰えていない。これって長生きの秘訣かも…..。
色々と体の不調は多々あるものの気持ちの上では元気になってきた母。
いつまでもこの調子で、長生きしてもらいたいと願っている。
年末から、ショーペンハウアー著の人生論、「幸福について」
(藤本文夫氏訳新潮社版)を読み始めた。その最初の部分に、
フランスの著述家シャンフォールの言葉が引用されている。
『幸福は容易に得られるものではない。幸福を
われわれのうちに見いだすのは至難であり、
他の場所に見いだすのは不可能である』というもの。
一見当たり前のようで、意識をしていないと見つけることは難しい、
ほんのささいなこと(だけど本当はとても大きなこと)に日々思いをはせ、
幸福だと感じられることに感謝の気持ちをもち続けられるように過ごしたい
ものと、新年を迎え、改めて心に誓った。
北尾真理子のつれづれ日記
2011年12月28日 | 日記
フランスにしばらく住んでいた知人が、
あるフランス人家庭を訪ねた際に発見して
驚いたことを話してくれた。
夕食が終わり、就寝時間までのひととき、
居間で父親に絵本を読んでもらう娘さん、と思いきや、
どうも様子が違うということに気づいたそうだ。
父親は、娘に絵本を読んで聞かせるのではなく、
絵本を見せて、娘に絵を見てストーリーを想像させて
話を語らせていたらしい。
そうすることによって、娘の想像力は育まれるのだろう。
そうすることで、娘は、独創的で、型にはまらない、
多様な考え方を、幼い頃から身につけることが
出来るようになるのだろう。
海外では、小学校で教える算数の計算式も、
1+4=( )ではなく、
( )+( )=5として、空いているかっこに
あてはまる数字を好きなように入れさせて
教えているという話を聞いたこともある。
つまり、1つの答を導き出す方法は、複数あるのだ
ということを早くから教えるということだ。
こういう教育の繰り返しが、幼い頃から、
ダイバーシティ(多様性)を身近なこととして体感し、
身につけられる人を育てて行くことになるのだろう。
北尾真理子のつれづれ日記
2011年12月27日 | 日記
前回のブログで、残念な喫茶店の話を紹介したが、先週末も残念なお店を
改めて再認識した次第。近くにある洋菓子店の話。
このお店では、以前にも同様の苦い体験をしたことがあるため、どれだけ
おいしいお菓子を売られていたとしても、もう二度と行かない、買わない、と
心に決めていた。
ところが、東京の知人に『いい加減に機嫌を直して、買って送ってよ』と
せがまれて、数年ぶりに意を決して再トライを試みることに…。
(同店では電話やFAXによる商品発送の依頼は受けておられず、地方発送の
場合も、必ず誰かががお店に行きお願いすることが必要。今までに何度も、
東京の知人、友人が頼んで来て、その都度、お店まで足を運んだものだ。)
知人の所望品の在庫があるかどうかを確認するために電話で確認した結果、
数年前と同様に苦い思いを味わった。ここで、どんな体験をしたのか、あえて
詳しく紹介する気にもならないが、何名かの知人、友人に体験談を話すと、
全員が、私の言っていることに同感。悪い意味で、期待を裏切ら無いお店だ。
今回、話をした友人の一人も、どんなことがあったか、今ではもう詳しくは
思い出せないけど、そのお店で、なんだかとってもアンハッピーな思いを
したことだけは覚えていると話してくれた。ジュエリーのデザインと販売を仕事に
もつ彼女曰く、『お菓子の販売ってジュエリーを販売するのと同じように、
夢を売ることだと思うんだよね。買いに来てくださったお客様が、そこでハッピーな
気持ちになっていただくってことがとても大切だと思うんだけど、あのお店では、
それを感じられなかったのね。だから私ももう行かないことにしたの』と。
少し前にNHK番組「プロフェッショナル」で放映された脚本家三谷幸喜氏の
言葉を思い出した。同番組お決まりの、『あなたにとってプロフェッショナルとは』
という質問に対する彼の答え。
『僕の中でそれはもう明らかであって、期待に応えるということですよね。
自分のやりたいものをやるんじゃなくて、人が自分にやってほしいものをやる
ということですよね。僕にとってプロフェッショナルというのは』というもの。
期待に応える。
自分のやりたいものをやるんじゃなくて、人が自分にやってほしいものをやる。
先日の喫茶店や洋菓子店の方たちに聞いておいてほしいと思う言葉だ。
北尾真理子のつれづれ日記
2011年12月20日 | 日記
今日のランチ。今まで行ったことのない喫茶店で取ることに…。
定食ランチ以外のメニューも結構バラエティに富んでいて、
同行メンバーは全員定食を、そして私はピラフ(スープ・サラダ付き)を注文。
定食と違うものを頼んだので、時間を要するのは仕方ないと思っていたが、
期待を裏切らず、結構、長い間、待たされた。
ようやく出てきたピラフとサラダを食べ始めてしばらくしてもなかなか
スープが出てこない。
『これってスープついてるんですよね』ときくと、その返事にビックリ!
『あぁ、スープ切れてしまってスミマセン。お味噌汁ならありますが、
どうされますか』とのこと。思わず『結構です』と断った。
同行メンバーも一同ビックリして、顔を見合わせた。
これって、こちらが訊く前に、店員さんが言うことじゃないのかなぁ。
ピラフを出した時点で、事情を説明し、『こちらの都合で大変申し訳あり
ませんが、お嫌いでなければ代わりにお味噌汁を出しますが….』と。
あるいは、その分、代金を考慮するとか、飲み物をサービスするとか、
何か埋め合わせをしようという気持ちがあっても良かったのでは….。
実は、今日、この店で驚いたのはこの一件だけではない。
同行メンバーの一人はスリムな体に似合わぬ大食漢。定食ランチのご飯は
お替わり自由とのことで、お替わりをした途端、二人しかいない店員さんの
内の一人(ご飯をよそっていた人)が、いきなり店内に響き渡る大きな声で、
『ご飯、終わりましたっ!』と叫んだ。
こういうことって身内の会話だし、業務連絡としてこっそり小声で知らせるべき
ことではないかと一同ビックリ!そもそも、その大食漢のメンバーは、最初に
注文した時に、『大盛りで』と頼んでいたにもかかわらず、出てきたご飯は
他のメンバーと同じ量。
この会話から想像すると、私に驚きの返答をした店員さんは、先輩格の人、
あるいは、もしかしたらオーナーかも。
それにしても、書き入れ時のランチタイム。まだ午後1時にもなっていない
というのに、スープもご飯もきらしちゃうとは、また顧客対応の至らなさを見ると、
サービス業としてあまりにもプロフェッショナリズムに欠けているような…。
出された料理が絶品で、また行きたいと思うお店なら苦言を呈するのも一案
(もちろん聞き入れられるかどうかは別として)だが、正直、料理はそれほど
でもなかったため、もう二度とこのお店には行かないゾという決意を胸に、
一同、静かに店を出た。世の中、“残念な人”が多い今日この頃。
北尾真理子のつれづれ日記
2011年12月16日 | 日記
最近、はまっているものがある。ママレードだ。
ママレードは、子どもの頃(おそらく今から50年程前になるが)、
初めて口にした時にまずいっ!と思ったようで、以来、私の人生では
封印されていた食べ物の一つ。
親たちがおいしそうに食べている様子を見て、自分も食べたいと
口に入れたのだが、その時の印象は、何とも言えない苦みがあり、
ミカンの皮まで入っていて口に触るし、これならイチゴジャムのほうが
よっぽどおいしい、こんなん、もう二度と食べんとこうっという思いが
子ども心に深く刻み込まれたのだ。
ここしばらく人生最大の体重の記録更新を続けているため、
食生活も変えていかねばと思い始めた私は、大好きなバターの摂取量を
控えようとしている。食パンには、まずバターを塗った上にイチゴジャムを
つけて食べるのが日常だったのだが…..。
少し前に、ジャムの詰め合わせをいただき、その中にママレードも。
母は、もともとママレードのファンで、その詰め合わせの中で最初に
開封されたのがママレード。
母がおいしそうにパンに塗って食べるのを見ていて、50年以上も封印していた
ママレードに再チャレンジ(そんな大層な!?)してみたところ、な、なんと、
そのおいしさに大感激!
バターを塗らずに、そのままパンにつけて食したが、イチゴジャムほどの
甘過ぎさもなく、バターなしで十分においしいではないか!
以来、 トーストにママレードだけ、という朝食が多くなっている。
ママレードの糖分が、人生最大の体重記録の更新に影響する可能性も
大いにあるが、自分としてはバターを塗ってない分、マシだと思い込んでいる。
ママレードをチーズにつけて食べてもおいしいということも発見!
それにしても、50年以上もママレードのおいしさに気づかぬまま、この年まで
生きて来てしまったなんて、なんだかちょっぴり人生損した気分。
最近は、輸入食品を扱う店などで、世界各国の各種ママレードを買い集めている。
しばらく、このマイブームは続きそうだ。
北尾真理子のつれづれ日記
2011年12月13日 | 日記
今から書くことは、「家政婦のミタ」を鑑賞されていない方にとっては、
なんのことか全くわからないことかもしれないが、私としては、今年1番の
ヒットと思えるほど、笑いのツボにはまった出来事なので…..。
多分、そろそろ最終回をむかえる連続テレビドラマ、「家政婦のミタ」。
毎回欠かさず(時にはビデオで)、母と楽しく鑑賞しているのだが….。
母はかねがね、あんな人がそばに居てたら面白いよねぇ、と話していた。
今朝のこと、時間ぎりぎりになって出かける直前に、母に
『チャップリン(我が家の愛猫)のお水、まだ換えてないからね』と言うと、
返ってきた母の返答が、『はい、承知しました』。一瞬、いったい、
何を言っているのか、すぐには理解できなかったのだが、次の瞬間、
彼女が、「家政婦のミタ」ならぬ「家政婦のT子」役を演じているのだと
わかった。
『何ふざけてんの~』と言いつつ出かけたが、最寄駅で、携帯電話を
忘れてきたことに気づいた。あわてて自宅に戻り、『携帯忘れた~。
なんで今日は携帯持ったか、きいてくれへんかったんよ~』(たまに
出がけに、忘れ物ない?携帯持った?ときいてくれることもあるので。)
とぼやく私に、『それは、あなたが考えることです』と返す母。
正直、これにはまいった。返す言葉もなく笑いまくる私。
今朝の母は、あくまでも、「家政婦のミタ」ごっこを続けるつもりのようだ。
既にいつもより遅れているので、いつまでも母の芝居の相手をしている
訳にはいかない。『行ってきまぁす』と出かける私の背中に向かって、
またしても、『行って、らっしゃいませ』と母のとどめのひとこと。
駅までの道を走りながらも、笑いが止まらない私。
この母の“マイブーム”は、いつまで続くのだろうか…。